テーマ:「希望としての介護」
日時:2012年7月19日 18:30~20:30
場所:杜のはしもとホール
講師:三好春樹氏

(一部抜粋です)
... 津波でグループホームが流されて、
家族の方に「おばあちゃんが亡くなって、なんであなたは生きているんだ?」
と言われた介護職員がいる。
その方に「どういう風に考えたらいいのか?」と相談を受けた。

何とか答えねばといろいろ調べその中でこんなことを知った。

理学療法士の若い男の子。老健にいました。
車イスで何人かのおばあちゃんを助けもうひとりと言う時、
津波にのまれて亡くなった。

  又年配在宅のヘルパーさんは軽自動車で助けに行って亡くなった。

  私はこれを美談にはしたくない。
自己犠牲の精神をもって老人の為にと言う論調には私は抵抗がある。

20年前長野で地すべりがありました。
そこにあった特養ホームが巻き込まれて何人も人が亡くなった。
この事件に関して九州の特養ホームの施設長さんがこんな事、言いました。

この施設長さんは反体制側から厚生労働省に意見をするような立場に会った人でした。

その彼がこう言ったんです。
「老人が亡くなって、職員が生きてるのは何事だ!」と。

私はこのとき思いました。体制も反体制も一緒だ。
体制の側は国の為に死ねとか平気で言う。

  反体制は逆に正義の為とか老人の為に死ぬべきと圧力をかける。

  言う事は違うけれど、体質は全く一緒ではないか。

これを現場の寮母さんは怒っていました。
あっという間の出来事でなんにも出来ない。
それを知らないで、良くそんな事がいえたものだ。

  私はその時依頼「現場を知らないものが何かいうべきではない。」
「まずは現場に語らせよ。」と言うスタンスである。

今回の3・11でもそのスタンスでいる。

そして今言いたいのは「介護士よ、死ぬんじゃない!」

私たちは救急救命のプロではない。
救急救命のプロは、日々訓練を行い、近代的な装備をもっている。

それでも、天候が荒れているとか、自分の身に危険があるときは助けに行かない。
自分の身の安全が守られないと絶対に助けに行かない。

私たちは介護のプロであって救命のプロではない。
彼ら以上に自分の身を守る事をしなければならない。

助けに行ったことは美談ではない。
二人で生きたかったけど亡くなってしまった悲劇なんだ。

ですから私は助ける自信が無いなら、自分が助かるべきだ。
それに対して罪悪感を感じる必要は無い。

ただ感じるべきは何か。無力感は感じよ。




(所感、総括)

死刑に対するスタンスは、私の中では未消化で考え中。
なぜ日本は世界の中で特異な存在であり、死刑を容認するのか?

まず、日本人の中にその死刑を容認する感覚について、世界から見て特異と思われている意識がない。自分にとっては普通、よそひとは驚く。日本人にとっての特性とは何か?

私が思うのは、死刑を許す=死を軽んじてる、
ではなく=死を重く受け止めているという表れと言うこと。

もし自分がひとを殺めてしまったら、
それは死によって償うしかない。極限状態でも相手のことを思いやる、
自分より相手を優先する。
それが美徳であるという文化。
それと切腹の文化が色濃く残っているのではないか?

 それは誇るべきでもある。
でもその事を周りが強要する圧力が働く危険性があるということ。
その事が皆にとって当たり前の感覚過ぎて、皆が気づいていない危うさを感じた。
このことは、介護職に「お年寄りを身を挺して助けろ」という考えに共通している。

そんな過激発言の三好さんですが、
佇まい、語りかけとしては、全然偉そうでないし、高圧的なところが全くない。
優しさオーラに満ちてます。

●エアーマットは効かない。
→エアーマットって除圧マットも含まれる?うちの父が使ってるんだけど、
そんなに動きにくくない。逆に動きやすいような?そこを確認し忘れてしまった。
高反発マットは6万円位だったような?家庭用の小さめのものは2万円くらい。東洋紡が本家ということで、展示してました。


●「現場を知らないものが何かいうべきではない。」「まずは現場に語らせよ。」と言うスタンスである。

→このことは現場にいるものにとって、自分のしている事、感覚が当たり前すぎて、
それほど価値を感じてないかもと感じた。
自分も含めて。自信をもって堂々と発信するべきなんだと、改めて思った。

●私は経済より命。原発より介護と言っている。
原発やる代わりに介護でアジア研修センターを作ればいい。
そうすればいくらでも産業としてなりたつ。

→新鮮な視点
まさに「本人は気づいていないけど、実は多くのニーズがあるの典型!」
日本独自の決め細やかなケアを、発信するって、ワクワク。

●そして3つめのショック。これが一番大きかった。
「絆」と言い始めたこと。ひとつになろうと言い始めたこと。
このことに対する違和感が一番大きかった。

→これは、盲目的にひとつになることの怖さを言っているのであるのかな?
歴史に学びながら、ブレーキをかけつつ、
一つになることをすすめているのだと思った。
決して、相互扶助を否定しているのではない。

●介護職は世の中で特殊な分野で生きている。
金になろうがなるまいが目の前に困っている人がいたら
どこまで出来るかわかりませんが出来る事はするという論理が生きてる世界。

世の中全部金だよと言う価値観とは違う世界。
一番強いのが介護職。介護にこそ日本の希望はあるよ

→現場にいるものに、自分の携わっている
「介護の世界」にメチャクチャ誇りを持ってというエールだと感じた

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