鍼灸マッサージの専門学校を卒業してから、丸10年たちました。
デザインの道を挫折し美大を中退。
21歳でした。
とりあえずフリーターで牛めしの松屋とESSOのガソリンスタンドをかけもちすることに。
松屋もガソリンスタンドも未知の世界で、しんどいバイトをあえて選ぶ。
2年半続けたところで、首にしこりができ良性腫瘍と判明。
手術の1年前、首(あごの下)ビー玉ぐらいのコロコロするものがあることに気づいた。
痛みはなく、なんだろう?と思った。
コロコロはだんだん少しづつ大きくなっていき
ピンポン玉位に。私が手術したのは相模原協同病院の耳鼻咽喉科でした。
病院に行くのが超怖くて・・。
場所的に悪性のものだったらどうしよう??とか
家庭の医学とか読むと、恐ろしい病気ばかりのってるし。
怖いから現実逃避で、あんまり考えないようにしてた。
そしたら明らかにおかしい大きさに。(ピンポン玉大)
友達に「病院いった方がいい!」ってすすめられて
やっと決心がついた。自分だけじゃ踏み出せなくて。
だから、手遅れになっちゃう人の気持ちよくわかる。
病院にいったら、先生がぱっと見で
悪性のものではないと一言。一安心。
だけど今度は手術が不安で不安で・・・。
「全身麻酔でやるから、麻酔でショック状態になったらどうしよう
もしかして、もしかしたら、死んじゃうかも・・・」
「首の手術だからなにかの間違いで先生が失敗したら大変!」
「首に15センチの傷跡かあ・・。嫁入り前なのに・・。
「そもそもなんで自分が?」
「なんか悪いことした?」
落ち込み。って具合で。
入院中に思ったことは、
「たくさん大変な人がいるんだ・・・」
「大変でも笑顔で頑張ってるなあ・・」
「普通の生活がなんて、ありがたいことだったのか・・」
手術の麻酔って強力で一瞬で記憶がなくなり
目を覚ましたら終わってた。
「あれ?数秒しかたってなくない?」って感想。
でも手術は無事終わってて。
そしてのどの管を抜くんだけど
これがとにかく痛くてつらかった。
手術の痕はそんなに痛くなかったけど。
病室に戻ってきて天井を見てると
悲しくなってきて涙が流れてきた。
口と鼻をおおう
酸素のカップがなぜか息苦しくて
やっぱりのどが痛くて声がでないし、
ひとりぽっちなかんじで、さみしくて、悲しかった。
なんで?なんで?がぐるぐるして。
次の日ご飯を食べる時、首に力が入らなくて
「頭、こんなに重いの?!」しょうがないので
ベッドを起こしてもらっておかゆを食べた。
同じ病室のおば様たちの会話によると、ある看護師さん
が人気者らしい。
「あのひとに頼むといいよ」
「あのひとはいいよ」
とか会話してる。
看護師さんて元気いっぱい明るい人が多くて
そういう人が人気なのかと思いきや、
人気者のAさんは落ち着いた感じの若いひと。
仕事ぶりをみてると、とにかく患者さんの言ったことを
流すんじゃなくてしっかり受け止めてる。
ほかの看護師さんが気づかないことに気づく。
一見地味なAさんがすごくたよりにされてて、
「そっかあ、元気で明るくなくても、誠実にきっちりすることが
こんなにも評価されるんだな・・。」
わたしは、人見知りだし、おとなしいのでちょっと劣等感あったんだけど
自分の持ち味でやっていけば、それでいいんだ・・。
そんなことに気づいた。
今回の入院手術は大変だったけどこの経験を
何か活かせないかな?そしたら悲しい気持ちから
この経験してよかったって思える!そんなこと考えはじめ。
そして
「身体が大変だと、心が元気なくなっちゃうこともある。
身体ばかりじゃなくて、心も思いやって欲しい。
じゃあ、自分が心と身体をじっくりケアできるようになろう。」
その経験から今にいたります。